みちのく金融マンのつぶやきブログ(旧「メタセコイアの宿り木で」)

みちのくを拠点に生活している金融業界歴十数年のサラリーマンです。心と身体を休めつつ、はんなりとした日々を送っています。

中国に忍び寄る全体化の足音

前から変わった国だなぁと思っていたが、今日のニュースを見て思わず固まってしまった。なんと、中国では今秋からカラオケで歌える曲目を当局(文化観光省)が決めるらしい。

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©いらすとや

記事によれば、「国家の結束や主権、領土の一体性を危険にさらすものや、カルトや迷信を拡散する内容で国の宗教政策に違反する曲、賭博や麻薬のような違法な活動を奨励するもの」ものが検閲対象になる。10万曲をスクリーニングして、果たして何曲残るのか。

筆者はディ●ニーの「クマのプーさん©」(※指導者の外見が似ていると揶揄されているため)は真っ先に禁止対象になると予想するが、果たしてそれはどういう理由でなのだろうか。まさか、賭博や麻薬ではないだろうし、カルトや迷信、宗教でもない。とすれば、国家の結束や主権、領土の一体性を危険にさらすものだろうか?…クマのプーさん©が??

 

21世紀に入ってこんなことをやっているようでは、焚書坑儒を笑えない。そもそも歌や詩というものは、社会風刺の一面を有するものである。それをそぎ落としたものなど、ただの事実・事象の描写であり、人の心を打つものとしてはおよそ不十分だ。「健康的で気持ちを高めさせる」曲をコンテンツ提供者に求めるというが、まるで歌舞伎町に行ってありもしない「健全なホストクラブ・キャバクラ」を探すようなものだ(←喩えが不純w)。

 

人は歌いたいから歌う、聴きたいから聴くのであり、そこに外部性はない。配信記事を見る限りカラオケのみの規制で、市井の人々の鼻歌や家での音楽鑑賞まで及ぶものではないようだが、人の内面にまで干渉しようとする様は戦前の我が国を彷彿とさせる。