登山道を歩いていると、道脇やちょっと奥に入ったところに神社やお地蔵様が鎮座していることがままある(※)。なんの前触れもない(マップ上には目印として載っていることもある)ので、下山の日暮れ時とかに出会うとかなりビビる。映画『千と千尋の神隠し(©スタジオジブリ、二馬力)』や『もののけ姫(同)』ではないが、経験上、黄昏(たそがれ)どきを境に山の気配はグッと変わるからだ。
※ 例えば、これまでに登った山でも朝島山(登山⑫)や仙人山(同㉛)などは鳥居が登山道入口に、太田薬師(同㉔)や金ヶ崎駒ケ岳(同㉓)に至っては山頂に御本尊がある。
毎回感心するのは、これらが綺麗に維持・管理されていること。参道の下草刈り・枝打ち、本堂の掃除、果てはお賽銭の管理まで。街中ならいざ知らず、ここは登山道だ。ただ登るだけでも一苦労なのに、掃除道具など一揃いを持っておそらくは何か月に1回、持ち回り制でやっている姿を想像すると、頭が下がる。デジタル化が急速に進む令和の時代にあっても、山は畏怖の対象であり、その土地の人たちと深く結びついている。